2013年5月27日月曜日

道ばたのソラマメとカジメ

夏の畑は草との戦い。
城ケ島野菜をつなぐ会の活動日は原則、月2回なので、当然、草が生え放題。

くるたびに草をとっていたおかげか、城ケ島野菜の「草ねぎ」はなんとか草に負けずに育ってくれている。

1カ月前はひょろひょろだった草ネギも丈夫になってきた。


直まきの相模半白キュウリはほぼ100%の発芽率。真黒茄子はわずかになんとか発芽したものの、伊勢ピーマンは1カ所しか発芽せず。


雑草と間違えて刈りそうになった真黒茄子。
あぶないあぶない。

この日はサツマイモの「べにあずま」を250本、「太白」を20本植えた。
「270本も植えれば一面サツマイモ畑になるだろう」と会員の誰もが想定していたが、
植えてみると意外に面積をとらなかった。



ひたすら畝づくり!



「追加で600本植えようか」という案も。

「干し芋がつくりたい!」「子どもたちに芋掘り体験をしてもらいたい」という意見があるため、次回さらにサツマイモを追加で植えることに。
会員のうちの1人、宮坂和彦さんの家業である種苗店「ミヤサカのタネ」で入荷してくれるので心強い。


ところで、この時期に城ケ島の裏道を歩くと、こんな風景に出会える。

カジメが道ばたにごろりところがる。


空豆を乾燥。これを10月末~11月上旬にまく。
 海草のカジメは乾燥させて肥料にするらしい。半農半漁で暮らしてきた城ケ島ならでは!

空豆はすべての収穫を食べずにこうして乾燥させて、秋に蒔くタネ用に保存しておくのが城ケ島の〝タネとり農業〟だ。

地元住民で畑をやっているのは高齢者だけとなってしまっているが、こうした風景を見ると、島の自給農業はまだかろうじて、城ケ島の風景をつくり、生活になじんでいるのだなあと思う。

【城ケ島支局 柏木智帆】









2013年4月13日土曜日

正月菜のタネ、乾燥中

おんば(早植えの小さなジャガイモ)とジャガイモの芽が出てきた城ケ島の畑。

「そろそろ〝さくぎり〟しないとダメだよ」と何人かのお年寄りから言われた。

どうやら土寄せのことを「さくぎり」と言うようで、「さく」は畝のことのようだ。

元気なジャガイモ

先日は星野サワさん(83)からいただいた白芽の里芋のタネイモを植えたが、今回さらに地元タネ屋で購入した赤芽(セレベス)のタネイモも植えた。


大きい立派な赤芽

そして、真黒茄子と伊勢ピーマンのタネを蒔いて寒冷紗をかけてみた。

「これでいいのかな」と、おそるおそる蒔く

城ケ島のお年寄りたちは夏野菜はタネからでなく購入した苗から育てる。
しかし、城ケ島野菜をつなぐ会では、あえてタネから育てることにした。
タネとりもしたいよねと、固定種を購入した。

「時期、早いかな?」
「もう大丈夫じゃないか?」

タネから育てるとなると、先生であるお年寄りからのアドバイスがないので、会員たちは手探り。


「あっ長さが足りない」。2カ所だけ露地栽培になった。

4月下旬には寒冷紗をかずに露地栽培のタネまきにも挑戦する予定。いろいろ試していくしかない。

昼食は会員(柏木)が島の畑で育てていたレタスを味噌汁へ投入。
前々回に村田吉雄代表がおすすめしてくれたレタスの味噌汁は、いまや会員たちのあいだで人気を集めている。


食べる直前に投入するのがコツ
 午後の開墾には、新たな仲間が加わった。
その名も「MM25」。
「みなとみらい21(MM21)ではなく、みさきみらい25(MM25)」と冗談めかすのは会員でMM25の持ち主の柳澤正和さん。

今回もこの耕耘機(MM25)が大活躍。
人力の鍬と耕耘機の力で広大な畑が開墾できた。

頼もしい柳澤さん
 この畑は風が強いので、サツマイモや三浦大根などを植える予定。


正月菜は花が咲き終わり、大量のタネをつけた。
しばらく鞘が黄色くなって中身のタネが黒くなったらとりごろ。

木につるして乾燥中。これはほんの一部。


会員で手分けして鞘を自宅に持ち帰り、それぞれがタネとりを行うことになった。

一粒万倍とは言うが、それにしてもものすごい数のタネ。

大量のタネは島のお年寄りたちと分け合い、みんなで島の野菜と食文化を繋いでいきたい。

(城ケ島支局 柏木智帆)

2013年4月2日火曜日

城ケ島野菜「草ネギ」のタネをまく

城ケ島野菜のひとつ、「草ネギ」のタネまきをした。

村田吉雄代表が長年にわたって繋いできたタネだ。

一緒に同じく村田代表が繋いできた九条ネギのタネもまいた。

草ネギのタネ

そして、インゲンのタネを、つるありとつるなしの両方の品種をまいた。
「つるありのほうが収量も多く食感が柔らかい」と村田代表。

昼食のおかずは、ワケギのぬた、イカゲソとワカメのぬた、自生アシタバのおひたし。そして、なんとレタスの味噌汁。

イカゲソとワカメのぬた(左奥)、ワケギのぬた(左手前)、
アシタバのおひたし(右)

ぬたは村田代表の自家製で、大好評。アシタバはクセがあるため会員によって好き嫌いが分かれたようだ。

レタスの味噌汁には「おいしいの?」と怪訝そうだった会員たちも、食べてみると「意外においしい」。
ちなみに、ワケギ、レタスは村田代表の畑でとれたもの。島内食糧自給率が高い高い。

いつも鍋の底が真っ黒に…。

ご近所の池田リセ子さん(82歳)を昼食に誘いにいったけど、ちょうどお留守で残念。

後ほどお会いしたときに聞くと「(別の場所にある)畑に行ってた」とか。
でも、別れ際に少し離れた場所から「(誘いにきてくれて)ありがとうね」と大きな声で言ってくださり、手を振ってくださった。

ものすごく、うれしい。

腹ごしらえした後は、周辺の畑や遊休地を見学。
自生のアシタバやルッコラ、水仙などを摘んで楽しむ会員たち。

正月菜の花やルッコラの花、グリーンピースの花、水仙など、色とりどりの畑


人参の葉っぱを食べて「甘くない青リンゴみたい!」、ルッコラの花を食べて「葉っぱよりもクセがない!」「甘い!」と新鮮な喜びでいっぱい。

おいしいルッコラの花

午後は再び別の畑で前回の開墾の続き。ピアンタちゃんが再び登場で大活躍。
米ぬかをまくゾーンと、まかずに自然栽培を試みるゾーンと分けた。

柳澤正和さん(右)にピアンタの操作を教えてもらう早川清子さん(左)

そろそろ畑が手狭になってきた。少しずつ貸してもらえる畑を増やしていかなくては。

【城ケ島支局 柏木智帆】

ピアンタちゃん登場

新しいメンバーが登場!

その名も「ピアンタ」ちゃん。

会員の柳澤正和さんが持ってきてくれた自前の小型耕耘機だ。

かわいいピアンタちゃんを動かす柳澤さん
 ガソリンではなく、ガスボンベで動く。
ピアンタちゃんの活躍のおかげで作業がはかどった。

城ケ島に住むみなさんにさまざまな苗やタネイモをいただいた。
うーちゃん(60歳)が分けてくれた空豆の苗、藤田婦美子さんが分けてくれた「おんば」という小さな早植えジャガイモの種芋、星野サワさん(83歳)が分けてくれた里芋(白芽)のタネイモを植えた。

隣の畑を耕している池田リセ子さん(82歳)には「おんば」の食べ方を聞いた。

「普通に醤油と砂糖で煮ころがすばかりだと飽きるから、フライパンにマーガリンをいれて炒めてからパセリをまぶすといいよ」

ちょっぴり洋風。
リセ子さんは畑の脇に自生しているアシタバを収穫して帰って行った。茹でてマヨネーズで食べたり天ぷらで食べたりするらしい。とっても豊か。

昼食には、代表の村田吉雄さんの畑でとれた、無農薬のカブでつくった味噌汁の他に、リセ子さんがつくってくれた芥子菜の漬物。持参の弁当とともに、城ケ島野菜を堪能したひととき。

午後は少し離れた畑で開墾作業。ピアンタちゃんは使わず、みんなで一心不乱に鍬をふるう。

ここにはいずれサツマイモの種芋を植える予定。

みなさん翌日、翌々日まで筋肉痛になったとか。

【城ケ島支局 柏木智帆】

2013年3月8日金曜日

「城ケ島野菜をつなぐ会」鍬入れ!

「城ケ島野菜をつなぐ会」2回目の活動日。

地元の池田リセ子さん(82)から「おんば」をわけていただいた。

「おんば」とは、昨年6月に春じゃがを収穫したときに小さいジャガイモを食べずにとっておいたもの。
箱に並べて軒下に置いておくと、小さな芽が出てくる。
これを2月半ばに植えておくと、城ケ島野菜のソラマメがとれる5月半ばごろには食べられる。

「おんば」は、ピンポン玉大の小さなジャガイモ。
リセ子さんはメークイーンとキタアカリをつくっている。


「くるりと皮がむける。堀りたてはうまいんだ」と、リセ子さん。

城ケ島では、「おんば」を2月に植えて、ジャガイモを3月に植える。
すると、5月に「おんば」の小さなジャガイモを食べられ、6月に春ジャガイモを食べられる。

リセ子さんが「おんば」を植える様子を見せてもらう。

無駄のない鍬さばきで「おんば」を植えていくリセ子さん


そして、ついに、記念すべき「鍬入れ」!


畑に植える記念すべき第一号野菜は「おんば」に


地元の星野宇八郎さん=通称:うーちゃん(60)から植え方のレクチャーを受けつつ、「おんば」を植える。

畑の脇には城ケ島野菜の「正月菜」の花が咲く。


さらに、リセ子さんがわけてくださった城ケ島野菜のソラマメの苗も植える。


リセ子さんのおかげで「つなぐ会」の畑にも城ケ島野菜が仲間入り!


「5月には『おんば』とソラマメで収穫祭ができるかな」と胸を躍らせる会員たち。



前回セメントが足りなくなって途中になっていたカマドづくりも再開した。

ところが、、この日に使うはずのレンガが制作中のカマドの脇から忽然と消えていた。

4段の予定だったレンガを3段に変更して、ついに完成。

昼食には地元の藤田婦美子さん(78)と会員の早川清子さんが一緒につくってくださった豆腐と油揚げとわかめの味噌汁をさっそくカマドで温める。


あったかい畑ランチ。

会員の早川清子さんのサンドイッチがトンビにさらわれるというアクシデントもありつつ、あったかい味噌汁で冷えた身体をあたためる。


午後は、地元の星野拓吉さんが城ケ島を案内してくださった。

昭和44年に廃校になった旧三崎小学校分校の資料館を見学してから、城ケ島大橋を橋下から見上げ、県立城ケ島公園内の一面の水仙を香りでも楽しみ、86年前につくられたという防空壕を巡り、海を望む「水仙ロード」などを散策。

三浦半島と城ケ島とをむすぶ城ケ島大橋


県立城ケ島公園からは大島や房総半島などが望める


一面に広がる水仙。広がる芳香。

城ケ島を知って、城ケ島に愛着を持つことで、城ケ島野菜をつないでいこうという思いも高まっていく。

締めくくりには、新たに開墾させてもらえる土地を見学。
笹が威勢よく生い茂っていて、だいぶ開墾しがいがありそう。

寒さもやわらぐ3月からは本格的に畑作業が始まる予定だ。

(柏木智帆)

「城ケ島野菜をつなぐ会」始動!

「城ケ島野菜をつなぐ会」の活動が始まった。

初回の2月10日、三浦半島最南端の城ケ島にある漁村センターに集まったのは、インストラクターを含む地元会員が6人、城ケ島外からの会員が約10人。

自己紹介やオリエンテーションの後、地元の方が会のために貸してくださった約400平方メートル畑を見学。

地元会員のうーちゃん(60)が事前に機械でうなっておいてくれたこともあり、土はふかふか。
日当たりも良好で、「おおーっ」「いい畑だね」と、会員たちからは喜びの声が挙がった。

地元の子どもたちも畑で大はしゃぎ


そしてなによりも、会のお年寄りたちの畑が周囲にあるので心強い。

隣の畑で野菜をつくっている村田吉雄代表がご自身や周囲の畑を見学させてくれた。
無農薬でソラマメをつくるコツなどの説明に、熱心に聞き入る会員たち。


畑には城ケ島野菜の1つ「草ねぎ」も


城ケ島野菜の1つ、「正月菜」の花。葉っぱをつまんで味見した会員は「クセがなくていいね」。

5月にタネ取りができるという。


畑の片隅には自生のアシタバも。味見した会員は「漢方みたい…」。こちらは加熱しないと食べにくいらしい。

天ぷらのほか、地元会員の藤田婦美子さんによると、
「くきの部分は味噌、砂糖、酢で和えるととろりとしておいしい」


その後、畑の片隅にカマドづくり。
今後の農作業で昼食に汁物をつくったり、収穫祭でバーベキューをしたりと活用していく大事なカマドだ。

畑は車が入らない細い山道の上にあるため、地元会員の金子詠子さんの一家が総出となって原付バイクでレンガや水の入ったポリタンクを、何往復もして畑まで運んでくれた。


男性会員たちがスコップで地面を平らにした後、レンガを積みあげていく。


頼もしい!


お昼になったのでひとまず中断。

漁村センターで、各自持ち寄った弁当やおむすびで昼食。
村田代表が朝収穫した三浦ダイコンとその葉っぱを入れて、地元会員の藤田婦美子さん(78)が味噌汁をつくってくれた。

おなかいっぱいになったら、カマドづくり再開。

じわじわとカマドに愛着がわいてくる。やはり手作りはいい。



水平器を使って正確に。


ところが、セメントが足らなくなってしまう…。

完成はお預け。


セメントを買い足しおくことにして、次回活動日の完成を目指す。


作業終了後、漁村センター前で、畑帰りの石橋トキさん(92)に遭遇。

「昔はカジメを畑に入れたもんだ」
「アジモ(アマモ)も肥料にしたね」
「アジモの下にはアサリがいて昔はけっこう獲れたもんだ」
「小さいけど味があるね」

トキさんと村田代表とで海草談義に花が咲く。

かつては海草を堆肥に利用していたという半漁半農の城ケ島ならではの話に、会員たちは興味津々。


この日、地元会員の池田リセ子さん(82)、星野サワさん(83)の漫才のようなやりとりが、会員から大人気に。背負いカゴや農作業のファッションにも「ステキ」「私も背負いカゴほしい」などと女性会員からの注目が集まった。


池田リセ子さん(左)と星野サワさん(右)。
とっても魅力的なお2人。



お2人の登場で一気に場がにぎやかに。さらに、カマドづくりの共同作業などで会員同士も打ち解けはじめた。

明るく笑いに溢れた素敵な会になる予感。


(柏木 智帆)

城ケ島野菜をつなぐ会、会員募集!

三浦半島最南端の城ケ島で、途絶えかねない島特有の在来野菜を守り育てていこうと、住民たちが「城ケ島野菜をつなぐ会」を結成した。

気候風土に根付いた地野菜が全国的に消えつつあるなか、栽培やタネとりのノウハウを伝承しながら島の〝宝〟を将来につないでいく。


「城ケ島野菜をつなぐ会」立ちあげの会合

山形県では2009年11月までの30年間で27種の在来作物が消えたといわれている。

これを知った代表の村田吉雄さんは、「城ケ島には10種もないのに、なくなってしまったらさみしい。若い力がほしい」と話した。


島の人たちにとっては、島のソラマメや正月菜、草ネギなどを栽培してタネとりするのは当たり前。そして、当たり前に食べてきていた。

だが、後継者はなく、タネの存続は風前の灯火。
島の若い世代も今後のこうした野菜の存続に危機を抱き始めている。

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【会員募集】

活動は2月から。

会員は、開墾や草刈り、タネまきなどの農作業に参加できる人が対象。


栽培やタネとりの指導役は、現役で畑作業をしている70代から90代までの島のお年寄りたち。
最高齢は、なんと92歳の女性。お年寄りたちの体調に配慮しながら、可能な範囲で長年経験を重ねた栽培・タネとりの技や知恵を教えてもらう。

畑の隅にカマドをつくって昼食をとったり、秋には収穫祭をしたりしながら、楽しく無理なくタネをつないでいく。

活動日は月2回ほどを予定(変更もあり)。
会員からは、資材代や食費代など、負担にならない程度の会費を徴収予定。

会員申込みは、氏名、年齢、住所、連絡先を明記の上、「城ケ島野菜をつなぐ会」の村田代表のFAX 046-881-4343まで。

(柏木智帆)

稲刈り後の風物詩

籾殻を燻してつくる「籾殻燻炭(もみがらくんたん)」。

ドラム缶を使った作り方が一般的なのかと思っていたが、厚木市の農家の野路稔さんが祖母に教わって昔から行っているという作り方は興味深い。

まず、土を約2メートル四方にほうきで掃いて、相撲の土俵のように地面を平らにする。
中心に置いた種火の上に、トタンを巻いてつくった煙突を乗せ、周りに籾殻を円錐状にかけていく。


焦げてきてしまったところに籾殻を足していく。

燃えすぎると白く灰になってしまうので、燃え方の様子を見ながら籾殻を足していく。
できた籾殻燻炭から少しずつほうきで外側にはき出して集めていく。


籾殻をほうきで掃き集め、円錐状に丁寧に寄せていく。

午前11時ごろに着火。風の状態などによって違うが、だいたいは半日ほどで完成。
できた籾殻燻炭は、育苗土や畑に使う。排水性や保水性に優れているという。

「子どものころは稲刈りが終わってから11月ごろに、この辺りでよく見られた。特有の匂いがして、煙がたなびいていた」と野路さん。昔は6ヘクタール、いまは4ヘクタールの水田でコメをつくっている。

籾殻燻炭によって、空と地上の間に煙がたなびくことで、上空にふたがしてある状態に。
あたたかい空気が上空に逃げずに地上にとどまる。これが、放射冷却で畑に霜が降りることを防ぐ働きもあった。そして、強く焼くとアルカリ性、半焼けだと酸性に近くなるという。

昔ながらの知恵って本当にすごい。

こういった一つ一つの農家仕事は、農産物だけでなく、風景をもつくっている。



(柏木智帆)

お雑煮には「正月菜」

三浦半島の先端にある城ヶ島では、正月の雑煮に欠かせない「正月菜」が年末に収穫期を迎える。

城ヶ島では、タネとりを繰り返すことで風土に根付いた地域固有の野菜が残っている。正月菜もそうした代々食べ継がれてきた「城ヶ島野菜」の1つ。

収穫したての正月菜


正月菜は日本の菜花。
茎が長く、「茎を食べる。そこがしゃきしゃきしておいしい」のだという。

地元のお年寄りたちは子どものころから雑煮に入れて食べていたらしい。
みなさん、「正月はこれじゃなきゃだめ」、「風味がいい」と口々に言う。

収穫したての正月菜を持ってバス停に立っていたら、白髪のおばあちゃんが、
「あらっ正月菜」
と話しかけてきた。

「昔はお雑煮といえば正月菜だったけど、いまは三崎(城ヶ島へ渡る橋の手前の地域)に住んでいるから小松菜にしてるけど、正月菜のほうがおいしいの」

隣に立っていた道路工事の誘導係の中年のおじさんは
「この葉っぱ、おろぬき大根じゃないの?三浦に30年いるけど、正月菜なんて初めて知ったよ」

たしかに、城ヶ島のお年寄りたちは「今でも正月菜を食べる」と話すけど、30、40代の人たちは食べている人が少なかった。

城ヶ島で生まれ育った老人会長の村田吉雄さんは母から畑を引き継いだ30年ほど前から、母が守ってきたタネをとりながら栽培している。正月菜は70日ほどで成長するため、年末の収穫にあわせて10月下旬ごろにタネをまく。


収穫した正月菜を見せる村田さん


正月には、ニンジン、里芋、かまぼこ、鶏肉、焼き餅などを入れたすまし知る仕立ての雑煮の上に、茹でた正月菜を乗せて食べるという。

茹ですぎないのがこつ。「苦みもあり甘みもあり、おいしい」

82歳の星野サワさんは、かつては正月菜と焼き餅だけの雑煮を食べていた。だから、正月菜を乗せるだけの現在よりも、たくさんの正月菜を食べたらしい。それもシンプルでおいしそう。

一部は収穫しないでそのまま畑に残しておき、花を咲かせる。黄色い花。
春先にタネをとり、次の正月のためにタネまき時期まで保管する。

いただいた正月菜を茹でて食べたみた。クセがなくて、風味があって、たしかにおいしい。

バス停で出会ったおばあちゃんに正月菜をお裾分けすればよかった、と後で気づいた。

(柏木智帆)

食の野望を持った「SYOKU-YABO農園」

三浦半島最高峰の大楠山のふもとに、とても魅力的な場を発見した。
その名も「SYOKU-YABO農園」。
郷土食や国産品を見直そうという「食の野望」を持った農園で、飲食店も兼ねている。

JR逗子駅からバスで30分。「大楠芦品口」バス停で下車。
しばらく歩くと、この看板が見えてくる。

2010年10月にオープン。
敷地内には畑が広がり、小川が流れ、鳥のさえずりや虫の鳴き声が聞こえる。

なだらかな段々畑。片隅にモバイルハウスを発見!

畑では農薬や化学肥料は使わない。
店で提供する料理には収穫した野菜も使っているが、店主の眞中やすさんには「無農薬・無化学肥料の野菜が当たり前の世の中にしたい」という思いがある。
そのため、あえて「不使用」をうたっていない。


店舗脇の畑で収穫した野菜も料理に使う。


屋外には手作り店舗やテーブルがあり、食事を提供している。
食事メニューは、定食のみ。かてめし、味噌汁、小鉢2品、漬物で950円。


かてめしとは、海草や野菜、雑穀などでかさ増ししたまぜご飯のこと。
「かてめしという言葉には日本人の知恵があり、日本の根っこを伝えられるのでは」と眞中さん。
「混ぜご飯」でなくあえて「かてめし」と呼んでいる。
外食はハレかケかと言えば、ハレの食事。だが、メニューからわかるように、ここではケの料理を意識している。「ハンバーグやステーキではなく、本当の意味で豊かな料理」だ。
季節ごとの旬の食材、日本の伝統食の知恵が詰まった調味料を使っている。

特に、調味料に対しては徹底している。
「スーパーには画一した調味料ばかりだけど、それぞれの郷土にある素晴らしい調味料を広めていきたい」と、風土の恵から生まれた土地ごとの調味料を調べ、発掘している。

たとえば、魚醤。石川県の「いしる」、秋田県の「しょっつる」など昔からの伝統魚醤をはじめ、まちおこしとして新たに開発されたマグロ魚醤やアユ魚醤、サバ魚醤など、8種類を使い分ける。
しょうゆの種類は「数え切れないほど」。
火入れを一切しないでつくられた高知県の完全天然塩の製造所や、玉締めという伝統製法で含有量の3割しか絞れないというゴマ油の製造工場など、製造工程を見に現地まで足を運ぶこともある。

「日本のソウルフード」という味噌汁に使う味噌は、40種類を常備。すべて国産原料で無添加。
客にはメニューリストとともにみそのリストも手渡され、好みの味噌を選べる。
稗を使った岩手県のみそ、麹を使わないでつくる徳島県の「ねさしみそ」、福島県の「ずんだみそ」など、地域色豊かな味噌がずらり。
なかには、1キロ4、5千円する味噌もある。
味噌の香りや風味を大切にするため、注文を受けるごとに1食1食、味噌を溶かしてつくっている。

産地や特徴などが書かれた味噌リスト。

農園は、表現の場として、イベントや上映会などが不定期で行われている。
敷地内には、枕木や竹、カヤでつくったステージがあり、スクリーン、音響、プロジェクターが備わっている。食や農だけでなく、音楽、芸術など、多彩な表現の場にもなっている。
老若男女、さまざまな人たちが集まってくることで、多くの人たちに「食の野望」に目を向けてもらうきっかけ作りにもなっている。


店長の眞中やすさん(左)とスタッフの風間朋美さん(右)

「外食店をやっていて矛盾があるかもしれないけど、家族で食卓を囲む楽しさがすべてだとおもっている。興味を持った調味料を使って家庭でも料理をつくって食べてもらえれば」と眞中さん。

決して押しつけはしないが、客から質問されたらなんでも包み隠さず教える。調味料の正体やその原料、値段、製造元の連絡先まで。企業秘密は一切ない。
農園での食事をきっかけに家庭の食卓が豊かになったり、郷土の調味料をつくっている地方の活性化にも一役買えればとの願いもあるという。

「郷土料理を大切に思ったり無農薬の野菜を求めたりと食に対する感性が変われば、日本の食は変えられる」。

食材そのものだけでなく、日本伝統の食文化を大事にしている「SYOKU-YABO農園」。

一方で、国内ではイタリアンや中華など、さまざまな国の料理が食べられ、横須賀市がある神奈川県の学校給食ではご飯でなくパンも出る。「地産地消」は食材だけでなく、食文化も含めたものであってほしい。

(柏木智帆)

里芋をつなぎ続けた66年

神奈川県の三浦半島の先端にある城ヶ島で、91歳の女性に出会った。

現役で自給用の畑をやっているお年寄りたちの中でも最高齢の石橋トキさん。

朝、トキさんが山の畑に行くときに着いていった。
家を出て山道の入口へ。急坂を登る前、ほんの1分ほどだけ石塀に腰掛けて休むと、「よっこらしょ」と言って立ち上がり、杖をつきながらゆっくりと登り始めた。足元が悪い場所もあったが、地下足袋にもんぺ姿でカゴを背負い、一気に登りきった。

急な坂道をしっかりとした足取りで登るトキさん。

25歳で嫁いできてから畑で野菜を作り続けてきた。
野菜のタネは基本的にはタネとりして繋いできたが、うまくできなかった翌年は、買ってきたタネを蒔いた。
だが、そのなかで一度も絶やさずに繋いできたというのが里芋。66年間、ずっと。嫁いだときにはすでに嫁ぎ先の娘さんが繋いでいたらしいので、少なくとも70年近く、あるいはそれ以上、脈々と受け継がれてきたのだろう。
県農業技術センター三浦半島地区事務所によると、里芋のタネイモの自家どりは一般的。だから、そんなに珍しいことではない。それでも「70年はすごい」とのこと。本当にすごい。


里芋は白芽。今年は育ちが悪かったらしい。

トキさんから、この里芋をいくつかいただいた。うまくつくれたら増やしてトキさんにお返しして、翌年以降も繋いでいきたい。

それにしても、トキさん、肌がつやつや。ほぼ毎日、山の上の畑へ通っているらしい。
高齢のトキさんを心配する息子さんからは、そろそろ畑をやめるように言われているらしいが、「やめたら畑がもったいないでしょう」とトキさん。畑はトキさんの生き甲斐になっている。日常の中に仕事を持つことが、生涯現役につながる。91歳になっても自分の食べるものを自分でまかなうという姿勢がかっこいい。

(柏木智帆)

水菜に負けるな磯子京菜

横浜市磯子区を中心とした横浜市南部でかつて栽培されていた「磯子京菜」という在来野菜がある。
軸の白色と葉の緑色のコントラストが美しく、水菜よりも軸が太い。さくさくとした歯触りで柔らかく、1株が白菜よりも大きいそうだ。

1970年代ごろまでは、地域に根付いていた。束で購入して白菜のように漬物にしたり、鍋物の具などに利用されてきたらしい。磯子地域の中高年やお年寄りに聞くと、たいてい懐かしがる。

だが、漬物をつくる家庭は減り、核家族化がすすむなか、「食べきれない」と敬遠されるようになった。「鍋物で余っても冷蔵庫に入らない」という声も。さらに、軸が太くてサラダには向かないため、磯子京菜のポジションは、徐々に水菜に置き換わっていった。

神奈川県農業技術センターでも水菜の人気が出始めた2000年ごろに磯子京菜を打ち出したが、市場から不評で断念。水菜は戦略的に株を小さくして出荷されていたが、磯子京菜の大ぶりなサイズが受け入れられなかったという。

そこで、伝統食文化を見直す運動を進める任意団体「スローフード横浜」が、磯子京菜を復活させるプロジェクトを始めた。

売れる見込みが不確かな野菜の栽培を多くの農家が辞退したが、唯一、磯子区の農家、岡本一さん(74)が手を挙げた。

スローフード横浜は大手種苗会社から2006年から販売中止になっている磯子京菜のタネ30ミリリットルを譲り受けた。このタネを岡本さんが10月20日に蒔いた。タネまき時期は多少遅れたが、年明け前後には収穫できる見込みだ。
ただし、今回、種苗会社側から自家採種を禁じられたため、伝統野菜として気候風土に根付くのかという疑問もあるが…。

磯子京菜のタネを見せる岡本一さん。


今後、スローフード横浜が、有名なホテルレストランのシェフなどに頼んで、メニューに使ってもらったり家庭でもつくれる磯子京菜のレシピの考案をお願いしたりする計画だ。有名な前例として、山形県では山形伝統野菜をイタリアンで表現した「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ奥田政行さんの料理が話題を集めている。

ただ、一方で、個人的には、伝統野菜とともに伝統の食文化も繋いでいってほしいとも思う。伝統食があったから伝統野菜があり、伝統野菜があったから伝統食がある。その食文化が廃れてきてしまったから野菜も消えかけていたのだけど…。

それでも、味噌づくりなど手作りを楽しむ人が出てきたように、磯子京菜を1株まるごと使った漬物づくりや、ときにはご近所や仲間が集って山形の芋煮会のように磯子京菜の鍋を囲むのを楽しむ日も来るかもしれない。

新しい料理と、伝統の料理。両輪で磯子京菜が復活して、お年寄りたちがかつて食べた野菜の味を、子や孫の代が一緒に楽しめたら素敵だなと思う。


(柏木智帆)