軸の白色と葉の緑色のコントラストが美しく、水菜よりも軸が太い。さくさくとした歯触りで柔らかく、1株が白菜よりも大きいそうだ。
1970年代ごろまでは、地域に根付いていた。束で購入して白菜のように漬物にしたり、鍋物の具などに利用されてきたらしい。磯子地域の中高年やお年寄りに聞くと、たいてい懐かしがる。
だが、漬物をつくる家庭は減り、核家族化がすすむなか、「食べきれない」と敬遠されるようになった。「鍋物で余っても冷蔵庫に入らない」という声も。さらに、軸が太くてサラダには向かないため、磯子京菜のポジションは、徐々に水菜に置き換わっていった。
神奈川県農業技術センターでも水菜の人気が出始めた2000年ごろに磯子京菜を打ち出したが、市場から不評で断念。水菜は戦略的に株を小さくして出荷されていたが、磯子京菜の大ぶりなサイズが受け入れられなかったという。
そこで、伝統食文化を見直す運動を進める任意団体「スローフード横浜」が、磯子京菜を復活させるプロジェクトを始めた。
売れる見込みが不確かな野菜の栽培を多くの農家が辞退したが、唯一、磯子区の農家、岡本一さん(74)が手を挙げた。
スローフード横浜は大手種苗会社から2006年から販売中止になっている磯子京菜のタネ30ミリリットルを譲り受けた。このタネを岡本さんが10月20日に蒔いた。タネまき時期は多少遅れたが、年明け前後には収穫できる見込みだ。
ただし、今回、種苗会社側から自家採種を禁じられたため、伝統野菜として気候風土に根付くのかという疑問もあるが…。
磯子京菜のタネを見せる岡本一さん。 |
今後、スローフード横浜が、有名なホテルレストランのシェフなどに頼んで、メニューに使ってもらったり家庭でもつくれる磯子京菜のレシピの考案をお願いしたりする計画だ。有名な前例として、山形県では山形伝統野菜をイタリアンで表現した「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ奥田政行さんの料理が話題を集めている。
ただ、一方で、個人的には、伝統野菜とともに伝統の食文化も繋いでいってほしいとも思う。伝統食があったから伝統野菜があり、伝統野菜があったから伝統食がある。その食文化が廃れてきてしまったから野菜も消えかけていたのだけど…。
それでも、味噌づくりなど手作りを楽しむ人が出てきたように、磯子京菜を1株まるごと使った漬物づくりや、ときにはご近所や仲間が集って山形の芋煮会のように磯子京菜の鍋を囲むのを楽しむ日も来るかもしれない。
新しい料理と、伝統の料理。両輪で磯子京菜が復活して、お年寄りたちがかつて食べた野菜の味を、子や孫の代が一緒に楽しめたら素敵だなと思う。
(柏木智帆)
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