2013年3月8日金曜日

「城ケ島野菜をつなぐ会」鍬入れ!

「城ケ島野菜をつなぐ会」2回目の活動日。

地元の池田リセ子さん(82)から「おんば」をわけていただいた。

「おんば」とは、昨年6月に春じゃがを収穫したときに小さいジャガイモを食べずにとっておいたもの。
箱に並べて軒下に置いておくと、小さな芽が出てくる。
これを2月半ばに植えておくと、城ケ島野菜のソラマメがとれる5月半ばごろには食べられる。

「おんば」は、ピンポン玉大の小さなジャガイモ。
リセ子さんはメークイーンとキタアカリをつくっている。


「くるりと皮がむける。堀りたてはうまいんだ」と、リセ子さん。

城ケ島では、「おんば」を2月に植えて、ジャガイモを3月に植える。
すると、5月に「おんば」の小さなジャガイモを食べられ、6月に春ジャガイモを食べられる。

リセ子さんが「おんば」を植える様子を見せてもらう。

無駄のない鍬さばきで「おんば」を植えていくリセ子さん


そして、ついに、記念すべき「鍬入れ」!


畑に植える記念すべき第一号野菜は「おんば」に


地元の星野宇八郎さん=通称:うーちゃん(60)から植え方のレクチャーを受けつつ、「おんば」を植える。

畑の脇には城ケ島野菜の「正月菜」の花が咲く。


さらに、リセ子さんがわけてくださった城ケ島野菜のソラマメの苗も植える。


リセ子さんのおかげで「つなぐ会」の畑にも城ケ島野菜が仲間入り!


「5月には『おんば』とソラマメで収穫祭ができるかな」と胸を躍らせる会員たち。



前回セメントが足りなくなって途中になっていたカマドづくりも再開した。

ところが、、この日に使うはずのレンガが制作中のカマドの脇から忽然と消えていた。

4段の予定だったレンガを3段に変更して、ついに完成。

昼食には地元の藤田婦美子さん(78)と会員の早川清子さんが一緒につくってくださった豆腐と油揚げとわかめの味噌汁をさっそくカマドで温める。


あったかい畑ランチ。

会員の早川清子さんのサンドイッチがトンビにさらわれるというアクシデントもありつつ、あったかい味噌汁で冷えた身体をあたためる。


午後は、地元の星野拓吉さんが城ケ島を案内してくださった。

昭和44年に廃校になった旧三崎小学校分校の資料館を見学してから、城ケ島大橋を橋下から見上げ、県立城ケ島公園内の一面の水仙を香りでも楽しみ、86年前につくられたという防空壕を巡り、海を望む「水仙ロード」などを散策。

三浦半島と城ケ島とをむすぶ城ケ島大橋


県立城ケ島公園からは大島や房総半島などが望める


一面に広がる水仙。広がる芳香。

城ケ島を知って、城ケ島に愛着を持つことで、城ケ島野菜をつないでいこうという思いも高まっていく。

締めくくりには、新たに開墾させてもらえる土地を見学。
笹が威勢よく生い茂っていて、だいぶ開墾しがいがありそう。

寒さもやわらぐ3月からは本格的に畑作業が始まる予定だ。

(柏木智帆)

「城ケ島野菜をつなぐ会」始動!

「城ケ島野菜をつなぐ会」の活動が始まった。

初回の2月10日、三浦半島最南端の城ケ島にある漁村センターに集まったのは、インストラクターを含む地元会員が6人、城ケ島外からの会員が約10人。

自己紹介やオリエンテーションの後、地元の方が会のために貸してくださった約400平方メートル畑を見学。

地元会員のうーちゃん(60)が事前に機械でうなっておいてくれたこともあり、土はふかふか。
日当たりも良好で、「おおーっ」「いい畑だね」と、会員たちからは喜びの声が挙がった。

地元の子どもたちも畑で大はしゃぎ


そしてなによりも、会のお年寄りたちの畑が周囲にあるので心強い。

隣の畑で野菜をつくっている村田吉雄代表がご自身や周囲の畑を見学させてくれた。
無農薬でソラマメをつくるコツなどの説明に、熱心に聞き入る会員たち。


畑には城ケ島野菜の1つ「草ねぎ」も


城ケ島野菜の1つ、「正月菜」の花。葉っぱをつまんで味見した会員は「クセがなくていいね」。

5月にタネ取りができるという。


畑の片隅には自生のアシタバも。味見した会員は「漢方みたい…」。こちらは加熱しないと食べにくいらしい。

天ぷらのほか、地元会員の藤田婦美子さんによると、
「くきの部分は味噌、砂糖、酢で和えるととろりとしておいしい」


その後、畑の片隅にカマドづくり。
今後の農作業で昼食に汁物をつくったり、収穫祭でバーベキューをしたりと活用していく大事なカマドだ。

畑は車が入らない細い山道の上にあるため、地元会員の金子詠子さんの一家が総出となって原付バイクでレンガや水の入ったポリタンクを、何往復もして畑まで運んでくれた。


男性会員たちがスコップで地面を平らにした後、レンガを積みあげていく。


頼もしい!


お昼になったのでひとまず中断。

漁村センターで、各自持ち寄った弁当やおむすびで昼食。
村田代表が朝収穫した三浦ダイコンとその葉っぱを入れて、地元会員の藤田婦美子さん(78)が味噌汁をつくってくれた。

おなかいっぱいになったら、カマドづくり再開。

じわじわとカマドに愛着がわいてくる。やはり手作りはいい。



水平器を使って正確に。


ところが、セメントが足らなくなってしまう…。

完成はお預け。


セメントを買い足しおくことにして、次回活動日の完成を目指す。


作業終了後、漁村センター前で、畑帰りの石橋トキさん(92)に遭遇。

「昔はカジメを畑に入れたもんだ」
「アジモ(アマモ)も肥料にしたね」
「アジモの下にはアサリがいて昔はけっこう獲れたもんだ」
「小さいけど味があるね」

トキさんと村田代表とで海草談義に花が咲く。

かつては海草を堆肥に利用していたという半漁半農の城ケ島ならではの話に、会員たちは興味津々。


この日、地元会員の池田リセ子さん(82)、星野サワさん(83)の漫才のようなやりとりが、会員から大人気に。背負いカゴや農作業のファッションにも「ステキ」「私も背負いカゴほしい」などと女性会員からの注目が集まった。


池田リセ子さん(左)と星野サワさん(右)。
とっても魅力的なお2人。



お2人の登場で一気に場がにぎやかに。さらに、カマドづくりの共同作業などで会員同士も打ち解けはじめた。

明るく笑いに溢れた素敵な会になる予感。


(柏木 智帆)

城ケ島野菜をつなぐ会、会員募集!

三浦半島最南端の城ケ島で、途絶えかねない島特有の在来野菜を守り育てていこうと、住民たちが「城ケ島野菜をつなぐ会」を結成した。

気候風土に根付いた地野菜が全国的に消えつつあるなか、栽培やタネとりのノウハウを伝承しながら島の〝宝〟を将来につないでいく。


「城ケ島野菜をつなぐ会」立ちあげの会合

山形県では2009年11月までの30年間で27種の在来作物が消えたといわれている。

これを知った代表の村田吉雄さんは、「城ケ島には10種もないのに、なくなってしまったらさみしい。若い力がほしい」と話した。


島の人たちにとっては、島のソラマメや正月菜、草ネギなどを栽培してタネとりするのは当たり前。そして、当たり前に食べてきていた。

だが、後継者はなく、タネの存続は風前の灯火。
島の若い世代も今後のこうした野菜の存続に危機を抱き始めている。

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【会員募集】

活動は2月から。

会員は、開墾や草刈り、タネまきなどの農作業に参加できる人が対象。


栽培やタネとりの指導役は、現役で畑作業をしている70代から90代までの島のお年寄りたち。
最高齢は、なんと92歳の女性。お年寄りたちの体調に配慮しながら、可能な範囲で長年経験を重ねた栽培・タネとりの技や知恵を教えてもらう。

畑の隅にカマドをつくって昼食をとったり、秋には収穫祭をしたりしながら、楽しく無理なくタネをつないでいく。

活動日は月2回ほどを予定(変更もあり)。
会員からは、資材代や食費代など、負担にならない程度の会費を徴収予定。

会員申込みは、氏名、年齢、住所、連絡先を明記の上、「城ケ島野菜をつなぐ会」の村田代表のFAX 046-881-4343まで。

(柏木智帆)

稲刈り後の風物詩

籾殻を燻してつくる「籾殻燻炭(もみがらくんたん)」。

ドラム缶を使った作り方が一般的なのかと思っていたが、厚木市の農家の野路稔さんが祖母に教わって昔から行っているという作り方は興味深い。

まず、土を約2メートル四方にほうきで掃いて、相撲の土俵のように地面を平らにする。
中心に置いた種火の上に、トタンを巻いてつくった煙突を乗せ、周りに籾殻を円錐状にかけていく。


焦げてきてしまったところに籾殻を足していく。

燃えすぎると白く灰になってしまうので、燃え方の様子を見ながら籾殻を足していく。
できた籾殻燻炭から少しずつほうきで外側にはき出して集めていく。


籾殻をほうきで掃き集め、円錐状に丁寧に寄せていく。

午前11時ごろに着火。風の状態などによって違うが、だいたいは半日ほどで完成。
できた籾殻燻炭は、育苗土や畑に使う。排水性や保水性に優れているという。

「子どものころは稲刈りが終わってから11月ごろに、この辺りでよく見られた。特有の匂いがして、煙がたなびいていた」と野路さん。昔は6ヘクタール、いまは4ヘクタールの水田でコメをつくっている。

籾殻燻炭によって、空と地上の間に煙がたなびくことで、上空にふたがしてある状態に。
あたたかい空気が上空に逃げずに地上にとどまる。これが、放射冷却で畑に霜が降りることを防ぐ働きもあった。そして、強く焼くとアルカリ性、半焼けだと酸性に近くなるという。

昔ながらの知恵って本当にすごい。

こういった一つ一つの農家仕事は、農産物だけでなく、風景をもつくっている。



(柏木智帆)

お雑煮には「正月菜」

三浦半島の先端にある城ヶ島では、正月の雑煮に欠かせない「正月菜」が年末に収穫期を迎える。

城ヶ島では、タネとりを繰り返すことで風土に根付いた地域固有の野菜が残っている。正月菜もそうした代々食べ継がれてきた「城ヶ島野菜」の1つ。

収穫したての正月菜


正月菜は日本の菜花。
茎が長く、「茎を食べる。そこがしゃきしゃきしておいしい」のだという。

地元のお年寄りたちは子どものころから雑煮に入れて食べていたらしい。
みなさん、「正月はこれじゃなきゃだめ」、「風味がいい」と口々に言う。

収穫したての正月菜を持ってバス停に立っていたら、白髪のおばあちゃんが、
「あらっ正月菜」
と話しかけてきた。

「昔はお雑煮といえば正月菜だったけど、いまは三崎(城ヶ島へ渡る橋の手前の地域)に住んでいるから小松菜にしてるけど、正月菜のほうがおいしいの」

隣に立っていた道路工事の誘導係の中年のおじさんは
「この葉っぱ、おろぬき大根じゃないの?三浦に30年いるけど、正月菜なんて初めて知ったよ」

たしかに、城ヶ島のお年寄りたちは「今でも正月菜を食べる」と話すけど、30、40代の人たちは食べている人が少なかった。

城ヶ島で生まれ育った老人会長の村田吉雄さんは母から畑を引き継いだ30年ほど前から、母が守ってきたタネをとりながら栽培している。正月菜は70日ほどで成長するため、年末の収穫にあわせて10月下旬ごろにタネをまく。


収穫した正月菜を見せる村田さん


正月には、ニンジン、里芋、かまぼこ、鶏肉、焼き餅などを入れたすまし知る仕立ての雑煮の上に、茹でた正月菜を乗せて食べるという。

茹ですぎないのがこつ。「苦みもあり甘みもあり、おいしい」

82歳の星野サワさんは、かつては正月菜と焼き餅だけの雑煮を食べていた。だから、正月菜を乗せるだけの現在よりも、たくさんの正月菜を食べたらしい。それもシンプルでおいしそう。

一部は収穫しないでそのまま畑に残しておき、花を咲かせる。黄色い花。
春先にタネをとり、次の正月のためにタネまき時期まで保管する。

いただいた正月菜を茹でて食べたみた。クセがなくて、風味があって、たしかにおいしい。

バス停で出会ったおばあちゃんに正月菜をお裾分けすればよかった、と後で気づいた。

(柏木智帆)

食の野望を持った「SYOKU-YABO農園」

三浦半島最高峰の大楠山のふもとに、とても魅力的な場を発見した。
その名も「SYOKU-YABO農園」。
郷土食や国産品を見直そうという「食の野望」を持った農園で、飲食店も兼ねている。

JR逗子駅からバスで30分。「大楠芦品口」バス停で下車。
しばらく歩くと、この看板が見えてくる。

2010年10月にオープン。
敷地内には畑が広がり、小川が流れ、鳥のさえずりや虫の鳴き声が聞こえる。

なだらかな段々畑。片隅にモバイルハウスを発見!

畑では農薬や化学肥料は使わない。
店で提供する料理には収穫した野菜も使っているが、店主の眞中やすさんには「無農薬・無化学肥料の野菜が当たり前の世の中にしたい」という思いがある。
そのため、あえて「不使用」をうたっていない。


店舗脇の畑で収穫した野菜も料理に使う。


屋外には手作り店舗やテーブルがあり、食事を提供している。
食事メニューは、定食のみ。かてめし、味噌汁、小鉢2品、漬物で950円。


かてめしとは、海草や野菜、雑穀などでかさ増ししたまぜご飯のこと。
「かてめしという言葉には日本人の知恵があり、日本の根っこを伝えられるのでは」と眞中さん。
「混ぜご飯」でなくあえて「かてめし」と呼んでいる。
外食はハレかケかと言えば、ハレの食事。だが、メニューからわかるように、ここではケの料理を意識している。「ハンバーグやステーキではなく、本当の意味で豊かな料理」だ。
季節ごとの旬の食材、日本の伝統食の知恵が詰まった調味料を使っている。

特に、調味料に対しては徹底している。
「スーパーには画一した調味料ばかりだけど、それぞれの郷土にある素晴らしい調味料を広めていきたい」と、風土の恵から生まれた土地ごとの調味料を調べ、発掘している。

たとえば、魚醤。石川県の「いしる」、秋田県の「しょっつる」など昔からの伝統魚醤をはじめ、まちおこしとして新たに開発されたマグロ魚醤やアユ魚醤、サバ魚醤など、8種類を使い分ける。
しょうゆの種類は「数え切れないほど」。
火入れを一切しないでつくられた高知県の完全天然塩の製造所や、玉締めという伝統製法で含有量の3割しか絞れないというゴマ油の製造工場など、製造工程を見に現地まで足を運ぶこともある。

「日本のソウルフード」という味噌汁に使う味噌は、40種類を常備。すべて国産原料で無添加。
客にはメニューリストとともにみそのリストも手渡され、好みの味噌を選べる。
稗を使った岩手県のみそ、麹を使わないでつくる徳島県の「ねさしみそ」、福島県の「ずんだみそ」など、地域色豊かな味噌がずらり。
なかには、1キロ4、5千円する味噌もある。
味噌の香りや風味を大切にするため、注文を受けるごとに1食1食、味噌を溶かしてつくっている。

産地や特徴などが書かれた味噌リスト。

農園は、表現の場として、イベントや上映会などが不定期で行われている。
敷地内には、枕木や竹、カヤでつくったステージがあり、スクリーン、音響、プロジェクターが備わっている。食や農だけでなく、音楽、芸術など、多彩な表現の場にもなっている。
老若男女、さまざまな人たちが集まってくることで、多くの人たちに「食の野望」に目を向けてもらうきっかけ作りにもなっている。


店長の眞中やすさん(左)とスタッフの風間朋美さん(右)

「外食店をやっていて矛盾があるかもしれないけど、家族で食卓を囲む楽しさがすべてだとおもっている。興味を持った調味料を使って家庭でも料理をつくって食べてもらえれば」と眞中さん。

決して押しつけはしないが、客から質問されたらなんでも包み隠さず教える。調味料の正体やその原料、値段、製造元の連絡先まで。企業秘密は一切ない。
農園での食事をきっかけに家庭の食卓が豊かになったり、郷土の調味料をつくっている地方の活性化にも一役買えればとの願いもあるという。

「郷土料理を大切に思ったり無農薬の野菜を求めたりと食に対する感性が変われば、日本の食は変えられる」。

食材そのものだけでなく、日本伝統の食文化を大事にしている「SYOKU-YABO農園」。

一方で、国内ではイタリアンや中華など、さまざまな国の料理が食べられ、横須賀市がある神奈川県の学校給食ではご飯でなくパンも出る。「地産地消」は食材だけでなく、食文化も含めたものであってほしい。

(柏木智帆)

里芋をつなぎ続けた66年

神奈川県の三浦半島の先端にある城ヶ島で、91歳の女性に出会った。

現役で自給用の畑をやっているお年寄りたちの中でも最高齢の石橋トキさん。

朝、トキさんが山の畑に行くときに着いていった。
家を出て山道の入口へ。急坂を登る前、ほんの1分ほどだけ石塀に腰掛けて休むと、「よっこらしょ」と言って立ち上がり、杖をつきながらゆっくりと登り始めた。足元が悪い場所もあったが、地下足袋にもんぺ姿でカゴを背負い、一気に登りきった。

急な坂道をしっかりとした足取りで登るトキさん。

25歳で嫁いできてから畑で野菜を作り続けてきた。
野菜のタネは基本的にはタネとりして繋いできたが、うまくできなかった翌年は、買ってきたタネを蒔いた。
だが、そのなかで一度も絶やさずに繋いできたというのが里芋。66年間、ずっと。嫁いだときにはすでに嫁ぎ先の娘さんが繋いでいたらしいので、少なくとも70年近く、あるいはそれ以上、脈々と受け継がれてきたのだろう。
県農業技術センター三浦半島地区事務所によると、里芋のタネイモの自家どりは一般的。だから、そんなに珍しいことではない。それでも「70年はすごい」とのこと。本当にすごい。


里芋は白芽。今年は育ちが悪かったらしい。

トキさんから、この里芋をいくつかいただいた。うまくつくれたら増やしてトキさんにお返しして、翌年以降も繋いでいきたい。

それにしても、トキさん、肌がつやつや。ほぼ毎日、山の上の畑へ通っているらしい。
高齢のトキさんを心配する息子さんからは、そろそろ畑をやめるように言われているらしいが、「やめたら畑がもったいないでしょう」とトキさん。畑はトキさんの生き甲斐になっている。日常の中に仕事を持つことが、生涯現役につながる。91歳になっても自分の食べるものを自分でまかなうという姿勢がかっこいい。

(柏木智帆)

水菜に負けるな磯子京菜

横浜市磯子区を中心とした横浜市南部でかつて栽培されていた「磯子京菜」という在来野菜がある。
軸の白色と葉の緑色のコントラストが美しく、水菜よりも軸が太い。さくさくとした歯触りで柔らかく、1株が白菜よりも大きいそうだ。

1970年代ごろまでは、地域に根付いていた。束で購入して白菜のように漬物にしたり、鍋物の具などに利用されてきたらしい。磯子地域の中高年やお年寄りに聞くと、たいてい懐かしがる。

だが、漬物をつくる家庭は減り、核家族化がすすむなか、「食べきれない」と敬遠されるようになった。「鍋物で余っても冷蔵庫に入らない」という声も。さらに、軸が太くてサラダには向かないため、磯子京菜のポジションは、徐々に水菜に置き換わっていった。

神奈川県農業技術センターでも水菜の人気が出始めた2000年ごろに磯子京菜を打ち出したが、市場から不評で断念。水菜は戦略的に株を小さくして出荷されていたが、磯子京菜の大ぶりなサイズが受け入れられなかったという。

そこで、伝統食文化を見直す運動を進める任意団体「スローフード横浜」が、磯子京菜を復活させるプロジェクトを始めた。

売れる見込みが不確かな野菜の栽培を多くの農家が辞退したが、唯一、磯子区の農家、岡本一さん(74)が手を挙げた。

スローフード横浜は大手種苗会社から2006年から販売中止になっている磯子京菜のタネ30ミリリットルを譲り受けた。このタネを岡本さんが10月20日に蒔いた。タネまき時期は多少遅れたが、年明け前後には収穫できる見込みだ。
ただし、今回、種苗会社側から自家採種を禁じられたため、伝統野菜として気候風土に根付くのかという疑問もあるが…。

磯子京菜のタネを見せる岡本一さん。


今後、スローフード横浜が、有名なホテルレストランのシェフなどに頼んで、メニューに使ってもらったり家庭でもつくれる磯子京菜のレシピの考案をお願いしたりする計画だ。有名な前例として、山形県では山形伝統野菜をイタリアンで表現した「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ奥田政行さんの料理が話題を集めている。

ただ、一方で、個人的には、伝統野菜とともに伝統の食文化も繋いでいってほしいとも思う。伝統食があったから伝統野菜があり、伝統野菜があったから伝統食がある。その食文化が廃れてきてしまったから野菜も消えかけていたのだけど…。

それでも、味噌づくりなど手作りを楽しむ人が出てきたように、磯子京菜を1株まるごと使った漬物づくりや、ときにはご近所や仲間が集って山形の芋煮会のように磯子京菜の鍋を囲むのを楽しむ日も来るかもしれない。

新しい料理と、伝統の料理。両輪で磯子京菜が復活して、お年寄りたちがかつて食べた野菜の味を、子や孫の代が一緒に楽しめたら素敵だなと思う。


(柏木智帆)

みんなでタネまき

昨年の10月、城ヶ島でタネまきイベントを開いた。
お天気に恵まれ、心地よい風が吹き、気持ちのいい一日だった。

畑から見上げた青空

畑では、その前にまいておいた三浦大根や草ネギも無事に発芽。
三浦大根は蒔く時期が遅かったので根っこは太らなさそうだが、一年目は食べるよりも、まずはタネを増やすことが目的。花が咲いてサヤになってたくさんの子孫をうみだしてほしい。

発芽した三浦大根。がんばれー!

今回、開墾&タネまきを行ったのは、この三浦大根の畑の脇。

城ヶ島の方たちがお茶を差し入れてくれたり、レタスの苗や堆肥をお裾分けにきてくれたりと、親切にしていただいた。

参加したみなさんのおかげで午前中には草刈りがほぼ終了した。

人海戦術!

昼食はメシノタネでおむすびを大量に用意。

栗ご飯のおむすびと赤飯のおむすび。名残惜しい秋の味覚。

海を眺めながらのんびりランチタイム。

太陽を浴びて光る海とススキ。遠くに大島を望む。



海の浸食でできた「馬の背洞門」(右のトンネルのような岩)を見下ろす。

おなかがいっぱいになったら作業再開。開墾に思いのほか手間取ったが、なんとかタネまきまでこぎ着けた。


ところどころに埋まっている木の根っこに苦戦。

今回蒔いたタネは、城ヶ島に住む81歳の星野サワさんが代々受け継いできたソラマメと正月菜。そして、老人会長の村田吉雄さんが20年間にわたって自家採種を続けてきた草ネギ。


ソラマメのタネ

無事にタネをとり、貴重なタネを譲ってくださったお年寄りたちに返すとともに、翌年にもタネをつないでいけますように。


(柏木智帆)

三浦市・城ケ島で三浦ダイコンの復活を

神奈川県の三浦半島の先端にある城ヶ島で昨年9月に畑を借りた。

畑から徒歩1分ほどでこの景色。
周囲は岩礁地帯。自然の造形による海食洞穴「馬の背洞門」も見える。

城ヶ島には、お年寄りたちが細々と繋いできた野菜のタネがあるが、高齢化と後継者不足で将来的にタネが途絶える心配もある。
このタネをつないでいくお手伝いをしたいと考え、城ヶ島に住む81歳の星野サワさんと老人会長の村田吉雄さんからソラマメや正月菜、草ネギなど、城ヶ島在来の野菜のタネを譲っていただいた。

先日、畑の一角を開墾して、まずは草ネギのタネをまき、ワケギを植えた。

【before】

そして、三浦大根のタネもまいた。

神奈川県農業技術センター三浦半島地区事務所によると、かつて三浦半島でつくられていた三浦大根はいまはすべてF1種という人工交配されたタネ。在来のタネで栽培している農家は1軒もない。

そこで、城ヶ島のタネをつなぐとともに、タネとりしてつないでゆける三浦大根のタネを、三浦の地に取り戻そうと計画している。

固定種専門のタネ店「野口種苗研究所」の野口勲さんからも
「三浦半島から消えてしまった本当の三浦大根のタネが、城ヶ島で復活する物語が生まれる日を楽しみにしています」
との応援メッセージをいただいた。

野口種苗研究所で購入した三浦大根のタネ。
埼玉県の農家、関野幸生さんが採種したので「新」三浦大根になっている。

畑で作業をしていると、星野サワさんが妹さんたちと一緒に様子を見に来てくれた。自分のおばあちゃんができたみたいでちょっぴり嬉しい。

代々つたわるソラマメのタネのタネをくれた星野サワさん。
まくときの向きなどを教えてくれた。
ソラマメをまくのは今月末。

畑があるのは小高い丘。城ヶ島の周囲をぐるりとまわれるようになっているため、島の人たちが畑の脇を通ってゆく。そして、作業をしていると、必ず声をかけてくれる。

【after】
まずは、ほんの一部だけ。

なんとか日没までに作業終了。

城ヶ島の土に触れたことで、一気に城ヶ島への愛着がわいた。



(柏木智帆)

唇に唄を 食卓に野菜を

映画「スケッチ・オブ・ミャーク」を見た。

沖縄県宮古諸島の村でひっそりと歌い継がれてきた、厳しい暮らしや神への信仰などから生まれた「古謡(アーグ)」と「神歌(かみうた)」。
絶滅の危機に瀕している、こうした唄を歌い継ぐ人たちの暮らしを追うドキュメンタリーだ。

神事と唄が特別なものではなく、村の人たちの生活に溶け込んでいるのが印象的だった。

わたしたちの暮らしは、いま、労働や衣、食、住、自然などが、分断されている。

でも、宮古島の村の人たちは、生きることのすべてが丸ごと一体となって暮らしていた。地域に根付くってこういうことなんだなあと思う。

地域で連綿と受け継がれてきた唄の、世代を越えた共有。

伝統野菜やタネにも通じるものを感じた。




映画のなかで、高齢で病床に伏す村人の嵩原清さんに、嵩原さんが若かりし頃に歌った「池間口説」という唄を録音したものを聴かせるシーンがあった。
張りとつやのある当時の歌声と、現在の老い衰えた身体の対比が切ない。

世代を越えた感性の共有には、壮大な歴史が詰まっている。そのなかには、おそらく100年にも満たない短い年月で一生を終える自分も組み込まれている。



こうした唄と同様に、地域で細々とお年寄りたちがかろうじてつなぎ、今にも消えてしまいそうな野菜が各地にある。

野菜のおいしさはもちろん、野菜に詰まった歴史や文化をなくしたくない。

これからメシノタネとして何ができるだろうかと改めて考えた。

昔からたくさんの人たちが食べ繋いできた野菜を、繋いできたい。

正義感や義務感、使命感からではなく、当たり前に生活に溶け込んだものとして。



(柏木智帆)

唇に歌を 食卓に野菜を

給料の一部をコメで支払う

埼玉県小川町の下里地区で、有機農業を営む霜里農場の金子美登さんと、食とエネルギーの地産地消を柱に活動しているNPO生活工房つばさ・游の理事長、高橋優子さんの講演を聞いた。

行く前から楽しみにしていた話の1つが、自然派リフォーム会社「OKUTA」の「こめまめプロジェクト」。

このプロジェクトは、OKUTAが金子さんら下里地区の有機農家のコメを買い支え、希望社員の給料の一部をコメで支払っている。
生活工房つばさ・游が、OKUTAと有機農家をつなぐコーディネーター役だ。

全量買い取り、一括即金支払い、農家が元気になる価格が、提携の三原則。
1キロ400円で、送料、袋代、精米代込みで5キロ2600円。
希望社員には毎月17日になるとコメが届く。


刈り取り前日だった下里地区のコシヒカリ。
穂が長い長い。


東日本大震災が起きた直後、コメを備蓄しておこうとする人たちが続出して、あらゆる店でコメが売り切れた。だが、希望社員には、いつも通り、震災6日後の17日はコメが届いたという。

「社員の食と職を守るのが社長の役目」
講演で紹介されたOKUTAの山本拓己社長の言葉が印象的だった。

2009年のスタート時は参加農家4人で希望社員約30人。
いまでは参加農家は6人で希望社員は約70人に増えた。
社員たちは、下里地区での農業体験や有機農家との交流会などにも参加して、自分たちが食べているコメがつくられている現場にも足を運ぶ。


お金をじっと見つめていると、ただの紙切れだなあと思う。お金の価値というのは、共同幻想と言われれば、そうかもしれない。

お金でなくコメが給料の一部として支払われるプロジェクトは、全国的にもめずらしい。
でも、命を支える主食という意味でとても本質的。

この取り組み、なぜもっと他の企業に広がらないのだろう。


(柏木智帆)

野菜の食べ方探る農家


横須賀市の「Yavas農園」では、種苗会社が人工交配したタネではない〝本来のタネ〟だけを無農薬・無化学肥料で栽培している。

そのタネは「固定種」や「在来種」と呼ばれている。野菜を栽培してタネをとり、そのタネを翌年にまいて栽培すると同質の系統が引き継がれる、いわば命がつながれていく品種だ。

農園主は28歳の鈴木直広さん。

1反5畝超の谷戸畑で、ことしの春のタネまきから始めたばかりだ。


表が緑色、裏が赤色の「裏紅シソ」。
「片面だけに衣をつけて揚げると2色の天ぷらになる」と鈴木さん。


9月からは地元の酒店で販売し始めたが、8月まで、とれた夏野菜は一切販売していなかった。


「とにかく自分でずっと食べまくっていた。どの品種がおいしいか、どう食べたらおいしいかを追求して、トコトン食べた」

鈴木さんは、計5年ほど飲食店で調理の仕事をしてきたという経歴もあり、赤字覚悟でいろいろな調理法を試してきた。

たとえばオクラ。

「丸オクラとバーガンディー(赤オクラ)は洗ってキンキンに冷やして生のまま。丸オクラは麹味噌、バーガンディーは麹味噌とマヨネーズを混ぜたものにつけて食べるとおいしい」

「スターオブデイビット(太くて角が多いオクラ)は焼くと味を吸収するので、肉と炒めたり、エビと炒めたりすると旨みを吸収する。一緒に炒める材料によって変化が楽しめる」

ちなみに鈴木さんは、オクラをゴマ油で焼いて塩胡椒で味付けするのが好きらしい。


「スターオブデイビット」というオクラ。
タネとり用に収穫しないでおいたものは全長20センチほどに成長。

鈴木さんが生産した野菜の食べ方について、鈴木さん以上に詳しい人はいない。
「いつか自分がつくった野菜を自分が調理する飲食店を開きたい」という。


説明を聞いていると、つくってみよう、買ってみようという気持ちになるし、自ら生産した野菜への鈴木さんの愛着を感じる。
それは「鈴木さんの野菜」への信頼感につながる。
有機JAS認証よりも、こうした〝顔認証〟のほうが信頼できるように思う。



10月からは東京・青山の国連大学前で土日曜日に開かれている「青山ファーマーズマーケット」に出店。

ブースに行けば、きっと鈴木さんが食べ方をレクチャーしてくれる。




(柏木智帆)

ばっかり食べ

昨年ひらいたイベントで、山形県の在来作物とタネを守り継ぐ人たちの姿を追ったドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」をみんなで観た。

イベント後のネクストアクションとしてお持ち帰りいただいたタネ。
タネをまいて育てて食べてタネとりまでしてもらえたらいいな、と。
映画中に出てきた「感性の共有」という言葉が胸に響いた。
先人たちが育てて食べてきた野菜を、いま、みんなで食べるという感性の共有。

まずは何より食べてみよう。

そこで、「ばっかり食べ」に注目している。


農家は、季節ごとにとれた野菜ばかりを食べ続けていたと聞いたことがある。
たとえば、カブがとれる時期にはカブばっかり。カボチャがとれる時期にはカボチャばっかり。
これを「ばっかり食べ」というらしい。
さまざまな食材でバラエティーに富んだ食卓よりも、1つの野菜をさまざまな調理方法で旬の季節にいただく「ばっかり食べ」は、すごく豊かだと思える。


というわけで、「ばっかり食べ」を楽しむイベントを思案中。

おいしさとは、味覚のおいしさだけではなく、「心で感じるおいしさ」。
その土地に根付いてきたという歴史、守ってきたお年寄りなど、その野菜にまつわる物語を知ることで格段においしくなるように思える。
在来野菜を「守ろう」「つなごう」という義務感ではなく、「おいしい」からつなぎ守っていく。
こんなかたちが自然でいい。


映画の終盤で、在来野菜は「生きた文化財」というテロップがあったが、「文化財」なんて敷居が高いものではなく、もっと生活になじんだ野菜になってほしい。




(柏木智帆)

シャンティクティの種センター

長野県・安曇野にあるゲストハウス「シャンティクティ」にある「種センター」に行ってきた。

種苗交換会で寄付されたタネと自前のタネの計約100種。無料で貸し出し、翌年に2倍にして返してもらう仕組みだ。品種はまだまだ増える見込みという。

シャンティクティ経営の臼井健二さんと朋子さんが「種センター」を始めたのは、今年1、2月にバングラデシュでみた無農薬・有機栽培などをすすめる「ノヤクリシー」という新しい農業のムーブメントを目にしたことがきっかけ。


「穂高いんげん」「くらかけ豆」といった信州のタネから、
「むくろじ」「緑綿」など変わり〝ダネ〟まで。

バングラデシュでは、緑の革命によって収量はあがったものの、土地はやせ、病気は増え、生態系が壊れた。こうした状況を変えていこうというノヤクリシーの一環で、地域に「種センター」をつくり、コメ、野菜、豆のタネを管理して貸し出し、倍にして返してもらっているという。

朋子さんにうかがった現地農民の話が素敵だ。

「今までは農薬を買いに町へ行ったついでにお金を使ってかえってきて奥さんとけんかしたりしたけど、今はタネは奥さんが管理していて、植える時期をきいたり、一緒に仕事をすることがあるからコミュニケーションがとれて仲良くなった」

毎年タネまきのたびにお金を出してタネを買うのではなく、お金をかけずにタネとりや管理に手間をかけたりタネを交換したりするなかで、家族や地域とのコミュニケーションも深まる。タネを地域で自給することで、農民たちの自立にもつながる。

バングラデシュでは住民の9割が農民だというが、日本では多くの人たちが企業勤め。
そんな現状の日本でも、同じようにタネの貸し借りが浸透するかどうか。
期待をもって注目していきたい。


(柏木智帆)

注目集まる城ケ島ソラマメ

城ヶ島の野菜が9月18日の神奈川新聞に掲載された。

この記事を読んだ神奈川県農業振興課や神奈川県農業技術センター三浦半島地区事務所が、城ヶ島のソラマメに興味を持ってくれたようだ。

9月20日付の神奈川新聞に、ちょっとだけそのことを書いた。



三浦市の城ヶ島で長年にわたってタネが取り次がれている在来野菜について、県農業技術センター三浦半島地区事務所が調査に乗り出した。同事務所の普及指導部が来歴や特性などを調査する。

このタネは、ひとさやに入る豆が少なく小ぶりな「ソラマメ」と、正月の雑煮に欠かせないという菜っ葉の「正月菜」。

県内の在来野菜は、県農業技術センターが調査した内容を、2006年に県園芸種苗対策協議会が編集・発行した「かながわの地方野菜」にまとめられているが、この野菜は掲載されていない。

当時、調査に携わった県農業振興課の北宜裕課長はソラマメに注目。「県内に在来のソラマメはなかった。もしも特徴的なソラマメの場合は、地域特産物になる」と期待している。
                                         (9月20日 神奈川新聞より)



だが、たとえば、いま80代のお年寄りが嫁いだときにはすでに嫁ぎ先のおばあさんがタネをつないでいたなど、始まりが古い。そのため、そのルーツをたしかめるすべがないという。

それでも、1年ぐらいかけて現地で城ヶ島の野菜について、お年寄りから聞きとり調査をすすめていくようだ。


城ヶ島で借りた畑の土。黒い!



それにしても、みんなが口をそろえて「城ヶ島のソラマメはうまい」と言う。

「うまい」理由の1つとして考えられることを、城ヶ島区長の加藤治彦さんが教えてくれた。

「城ヶ島の畑の土には砂鉄が含まれているので、ソラマメがおいしくなる。昔はサツマイモもつくっていてこれもおいしかったが、いまはサツマイモはあまりつくってないね」



サツマイモもおいしかったというのに、なぜいまはつくられていないのだろう。

81歳の星野サワさんに聞いた話によると、「ソラマメのタネは高い」こともあってタネとり・栽培をしているが、サツマイモは「(芋を)買ったほうが安い」から栽培していない。


なるほど。

ものすごく、わかりやすいです。


(柏木智帆)