2013年3月8日金曜日

農が生み出す「おいしさ」

実らないかとあきらめていたオクラが収穫できた。
ナスとカボチャも。

野菜はタネから育てている。
小さなタネが芽吹く姿に、命のたくましさを感じる。
この1粒1粒に命が詰まっているんだなと思うと、生命の神秘を感じずにはいられない。
買ってきた苗では味わえない感覚だ。

野菜を毎日食べているのに、その野菜はどんな形や大きさのタネで、どんな花を咲かせて、どんなふうに育つのか、畑をやり始めるまでは知らなかった。

オクラやソラマメは空に向かって実をつけること、ゴボウの花はまるでアザミのように鮮やかなこと、落花生は黄色い小さな花をつけること、白い小さな花を無数につけるニンジンの花の可憐さ…。

夏の終わりに畑でとれた固定種野菜たち。


思えば、農業に興味を持ち始めたのは、神奈川県南足柄市に住んだ4年ほど前。周囲に広がる田んぼを眺めながら、日々を暮らしたことがきっかけだった。

住み始めたころの田んぼには一面のレンゲ。刈り取られて田んぼに水が入ると、丹沢の山々が水面に映った。
代掻き、田植えが終わると、青々とした涼しげな風景が広がり、風が吹くと、稲が波のようにうねった。

心を奪われたのは、稲の花。稲穂に小さな白い粒が見えた。日が昇りきってから2時間ほどだけ咲く。この間に受粉するという。
「ふだん食べているコメの粒は、いま、この瞬間につくられている」
そう思うと感慨深く、ごはんを食べるとき、その1粒1粒が愛おしくなった。

秋にはずっしりと籾をつけた稲穂がうなだれ、田んぼは黄金色に染まった。

不思議なことに、田んぼの風景の移り変わりを目の当たりにしたことで、毎日のごはんがよりおいしくなった。

農業は、コメや野菜そのものをつくり、風景や環境を育むだけでなく、さらには、ストーリーというアプローチからのおいしさまでも生み出してしまう。

奈良県高樋町の稲作風景


食と農の距離が近づくことで、食べものはよりおいしくなる。
農業をめぐるさまざまな問題も、理屈から入るのではなく、「おいしさ」を切り口にすれば、多くの人の“自分ごと”になるように思う。もちろん、タネの問題も然り。

(柏木智帆)

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